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タダ読みたくて

自作小説「神泊村」を連載しているブログです

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ひとりごと~きっかけ2

一つの時代が終わる時ってのは、色々と不安定になる、のかな。
20世紀末は、今とはまた少し違って、不安定な時でしたねぇ。
経済もですが、人心も落ち着かなくなって不安的になっていたように思います。
(あ~、年齢がバレバレになる(笑)今更だからハラくくりますヨ)

長くなるので、追記に載せてあります。





私が学生の頃ってば、同人誌はすでにありましたが、何故か周りには新鮮組を知っている人はいませんでした。取り上げている同人誌も見掛けなかったくらいです。(といっても友達の付き合いでそういう会場に行ったくらいですが)
世間のどことなく落ち着かない不安定さからか、予備知識ゼロの状態から、幕末の頃に狙いをつけて資料を漁ってました。
何か変わろうとしている世間の空気が、幕末の資料から漂う空気と似て思えていたのでしょうね。
繰り返すのだろうか?歴史は繰り返してゆくのか。何故?自分は楽しそうに幕末の資料を漁っているのか。
それから暫くして新鮮組が流行り出しましたけどね。
時代は、結局は人の心が作ってゆくものだと言う事が分らなかった時期でした。

以前に載せたひとりごとの記事から続くこの記事では、重すぎて今迄に語らずにいた、小説を書くきっかけとなった出来事を書きたいと思います。

例の有名な宗教団体の事件が起きた当時、私は東京の会社に勤めていて、勤め先のTVで事件を知りました。
ガス爆発と初めは報じていたかな。地下鉄でガス爆発かよ、ありえねーと思ったのを覚えています。
私自身は無宗教者なので、その後も他人事として(事件は事件として)通り過ぎたニュースでした。

それから数年の後。
全く関係ありませんが、冬の東北に温泉旅行などいった折、綺麗で素朴な景色と土地柄に凄く惹かれまして、ここを舞台にした小説を書きたいと思ったのでした。

それまでに読んだ小説って言えば、シャーロックホームズとか浅見シリーズ。ついでにBL(ぁ)
漫画はよく読んでましたが、小説は量が少なくしかも片寄りまくりだったのですね。

そんな私が書きたくなった内容とは、BL。(ぶ
だけでなく。
例の事件から別の角度で私なりに考えていた内容を盛り込んだものにしたいと思ったのでした。

例の事件とはいっても、例の宗教団体の事すら詳しく知りませんし、知りたいとも思いませんでし、ガス巻きや一家誘拐殺人にも、後々まで考えるような特別な関心は持ちませんでした。
集団生活とは名ばかりの監禁軟禁状態が続いていた事。あそこまで至るまでに、何故誰もおかしい事に気付かなかったのだろう、といった、集団心理の謎がずっと心に残っていたのです。
逆にいえば、あそこまでの大掛かりな異常な状況が続いていなければ、集団で何かしようなどとエスカレートしなかっただろう、と。

外部からの侵入を拒んでいたようなので、外部からの指摘は後回しにしても、内部(信者)は何故、監禁軟禁状態の異常な事態を享受していたのか。
ある状況や世界は人が作る。入り込み取り込まれてしまうと、容易には抜け出せなくなる。大勢の人がいればより形や内容が確立してゆく。個人の感情や意見は大勢の意見や意思の中に淘汰されてしまう。と言えば、もっともなように聞こえますが。
まさか、個人の意識がロボットの様になくなる訳ありません。
受け入れてしまっている状態になっている。何故?
そこが、問題に思えました。

私がそこに重点を置いてしまう理由は、前回のひとりごとの記事に載せてあります。

例えとして、外国での誘拐監禁事件を引き合いに考えてみました。
勿論、例の事件ははっきりとした営利目的があっての監禁事件とは違うと認識した上ですが。

外国では被害者を無事に返すケースは稀です。被害者からの犯人の情報提供を恐れてかもしれませんが、被害者も誘拐された状況をまず享受しないと思うのです。向こうの人は子供でもとかく個人の意思がはっきりしてます。OKと応えても、隙をみて翻ります。危ない状況になるとまず生き残り打開する手段を考え行動するのが最善だと考える訳ですね。そこまでして初めて1セットなのですね。

あの事件では、信じ切っていた人は別にして、まともな状況ではないと気付く人もいたハズで、実際、脱走を試みた人もいます。しかし、全体から見て少人数だった。
怖いから逆らわない、だからずっと我慢していた、従順にしていればまずは状況が良くなって抜け出せるかもしれない。しかして、その内財産を失って行く所もない状況に陥り、従順を続ける状況に慣れ過ぎて思考力が低下し、当然の自由さえ奪われている事に気付くきっかけさえ見失った。
事件を知った他の人もそれで納得していた所があるように思えましたね。

自分も含めて、受け身で国民性だと思わざるを得ない。
加害者に対して状況を良くして貰おうとか、まず間違っているのです。
加害者が状況を作っているのだから、相手以上の意思がなければ、打開へは繋がらない。まぁ、そこら辺は個人の意思の強さも関わってくるでしょうが。

同じ状況にいる人数が多い程慣れやすく、皆同じだからと。従順になりやすい上に、無意識に意識を共有しようとしてしまう。何なのか。
被害者は信者だが、例えば誰があの状況になっていたとしても同じだったのではないか。だから、被害者の受け身心理に同情できる。何なのか。
そこで、事件から離れて考えてみた。

人の意識は生まれた時は白紙で、徐々に自分をとり囲む人々の意識や文化を参考に作られてゆく。と、思っています。
そして人は時の政権の中で生きています。古代から現代に至るまで。時代時代に移り変わり、文化も移り変わってゆく。良い事は残り、消えゆくものもある。
その移り変わりやすい人心を、どうやって政権は掌握したか。人々が信仰していた宗教をまとめる事が最も効果的でした。心の掌握ですね。

本編でここら辺をこれから載せてゆきます。
今では政権と宗教は切り離されましたが。
キリスト教も似たような歴史を辿っていると思っています。

一つの国、一つの文化。一つの宗教。一つの民族。
日本は無意識な意識を共有しようとしやすい土台がある。
無宗教であってもなくても。
自分は他と違うと思っていても、根本のところが一緒でないと安心できないというか、一緒であるという安心を求める。
紡がれてきたし、紡がれている。そう思うのです。
日本の文化(国民?)意識の一部分とは思いますが。

悪い方向へと向かったら……。
その一つの結果があの事件の集団監禁軟禁状態だと思えました。
どんな悪状況でも、心では反対していても、無意識に意識を共有しようとして、結果、享受する。

それを分りやすい形にして盛り込もうと、小説上で架空の村を作ったのでした。
主人公は享受。(あまりの動かさに鬱々となって同感しかねますが)
副主人公は打開。(走り過ぎて削除する事多々ですが)

そして……。
神道とはもっと個人個人の純粋な気持ちをに大切にすることが目的なのではないか。
利用すべきものではない。
(他のどの世界の大教もそうだと思いますがねぇ……)
と、まぁ、それをも盛り込んだ内容にしようと。また随分長くなったのでそれはこの記事では書きませんが。
そうした反発意識みたいな意識から作品を書こうと思ったのですヨ。

BLは趣味です。キッパリ。
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